明治中期からの変遷は下記の通りであり、昭和37年 (1962年)に現在の原形である東京大学医学部附属病院薬剤部となり、昭和52年 (1977年)に薬剤部長が医学部教授とされ今日に至っている。薬剤部は、現在、急速に発展している医学・医療に対応するため、新たな業務展開を行っているところである。
明治 | 23年 (1890年) |
5月 | 帝国大学医科大学附属第一医院及び第二医院(明治34年焼失と共に廃止)の薬局が模範薬局と改称された。 |
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29年 (1896年) |
4月 | 医院制度の改正で施療が原則となったことに伴って、予算以外の私費患者に対する医薬分業が導入された。 | |
41年 (1908年) |
6月 | 明治41年 (1917年) 6月帝国大学官制により、薬局が名文化された。薬局は、医科大学附属医院とは独立し、薬局長は総長の直接監督下に置かれ、大学附属機関の一つとされた。 |
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43年 (1910年) |
6月 | 薬局の一部の新築が落成、移転し、翌年 3月には未完成の部分も全部竣工した。この薬局は、現在の薬学部東南の道路に面した位置に当たり、外来診療所に隣接し、平屋の独立建物であった。 | |
昭和 | 8年 (1933年) |
薬局は、復興建築計画に従って、現在位置に移転した。 | |
22年 (1947年) |
薬局は、医療法の施行と共に、病院長の下に病院の一翼としてその務めを果たすこととなった。 | ||
37年 (1962年) |
4月 | 国立学校設置法施行規則の変更により薬局を薬剤部と改称した。 | |
38年 (1963年) |
4月 | 医薬品情報資料掛が薬務室内に設けられ、昭和42年 5月に外来調剤室の隣室を薬品情報室とした。 | |
46年 (1971年) |
副薬剤部長が医学部助教授に振り替えられた。 | ||
52年 (1977年) |
薬剤部長が医学部教授の専任となった。 | ||
平成 | 2年 (1990年) |
10月 | 院外処方せん相談所を玄関ホ−ルに開設した。 |
3年 (1991年) |
10月 | お薬相談コーナーを外来待合室に開設した。 | |
4年 (1992年) |
4月 | 研究室内のTDM業務部門を薬物動態解析部門と改呼し整備した。 | |
9月 | 一般製剤室と無菌製剤室、並びに外来調剤室と入院調剤室をそれぞれ製剤部門、調剤部門として統合した。 | ||
10月 | 試験室を研究室から分離し、製剤部門に統合した。 | ||
5年 (1993年) |
3月 | 薬品情報室と研究室を情報・研究部門として統合した。 | |
3月 | 注射薬の処方せんによるセット渡しを開始した。 | ||
10月 | 処方せんによる高カロリー輸液(IVH)の調製を開始した。 | ||
6年 (1994年) |
3月 | 治験管理室を開設した。 | |
6月 | 治験管理の一元化が開始され、薬剤部での管理を開始した。 | ||
7月 | 薬剤管理指導料の請求を開始した。新外来診療棟開院により外来調剤室が移転し、業務を開始した。 | ||
12月 | 抗癌剤の調製を開始した。 | ||
7年 (1995年) |
4月 | 市販後調査(GPMSP)受託研究を開始した。 | |
12月 | 旧外来調剤室跡地に注射薬調剤室を開設し、業務を開始した。 | ||
8年 (1996年) |
5月 | 薬品情報室を入院調剤室の一画に移転し、薬歴管理・薬品情報室として業務を開始した。 | |
10年 (1998年) |
1月 | 治験管理室が病院施設となり管理研究棟3階に移転した。 | |
8月 | 院内組織として治験管理センターの発足が認められ治験管理室の業務を移行した。薬剤部長は治験薬管理者として、センターの治験薬管理部門を監督、総括することになった。 | ||
11年 (1999年) |
11月 | 全外来患者を対象とした薬剤情報提供加算の算定を開始し、約95%の発行率となった。重篤な副作用に関する「お薬説明カード」を作成し、院内患者を対象として、重篤な副作用に関する情報提供を順次開始した。 | |
12年 (2000年) |
3月 | 薬剤部における医療事故防止マニュアルを作成した。 | |
4月 | 医学部学生M3、M4に対する薬剤部における臨床実習(BST;1週間)が開始された。 | ||
6月 | 院内における医療事故防止対策の一環として、薬剤部編集による「外観類似薬一覧−注射薬編−」を作成した。 | ||
6月 | 薬剤管理指導料の6月の請求患者数が416名、件数が822件となり、過去最高となった。 | ||
13年 (2001年) |
4月 | 治験管理センターが改組され、臨床試験部として中央新施設の中に正式に設置された。 | |
7月 | 分院と業務統合した。 | ||
8月 | 薬剤部が他部署に先行して新病棟に移転し、稼働を開始した(ただし、外来調剤室、入院調剤室、研究室は移転せず)。 | ||
10月 | 新病棟稼働開始に伴い、HCU、ICU、CCU、無菌病棟および血液内科病棟を対象として、各フロアでの注射薬の混合を開始した。 | ||
14年 (2002年) |
1月 | 入院調剤室(時間外薬局)が旧外科病棟1階の救急部前に移転し、日当直を含めた業務を開始した。 | |
4月 | 医学部講師が分院助教授の振りかえによって新設された。 | ||
6月 | 薬剤管理指導請求件数が、908件(患者数522名)と過去最高になった。 | ||
15年 (2003年) |
1月 | 民主党国会議員団(薬学教育制度問題ワーキンググループ5議員を含む10名)が病院薬剤業務全般を視察した。 | |
5月 | 病院内に外来化学療法室設置に関する小委員会が発足し、開設に向けて具体的な検討が始まった。薬剤部から2名の委員が参加している。 | ||
6月 | 病院研修生受入規則が一部改定され、次年度薬剤師研修生については、研修期間が11ヶ月(現行6ヶ月以内)となった。また、研修料も改定された。 | ||
7月 | 薬剤管理指導請求件数が、1066件(患者数615名)と過去最高になった。 | ||
16年 (2004年) |
3月 | 伊賀立二教授の最終講義が医学部鉄門記念講堂で行われた。自民党国会議員団(薬学生の卒前実習の現状視察、4議員を含む8名)が病院薬剤業務全般を視察した。 | |
4月 | 外来化学療法業務を開始した。法人化に伴い労働基準法が適用され、日直、当直が日勤、夜勤となり、2交代勤務制となった。 | ||
17年 (2005年) |
6月 | 鈴木洋史教授昇任 | |
18年 (2006年) |
4月 | 薬剤師研修生の研修期間が12ケ月となった。 | |
8月 | 遺伝子診断のインフォームドコンセントを行い、患者からの同意取得業務を開始した。 | ||
10月 | 入院調剤室(時間外薬局)が中央診療棟2 1階に移転し、日当直を含めた業務を開始した。 | ||
10月 | 薬物動態解析室が中央診療棟2 2階に移転し、業務を開始した。 |
丹羽藤吉郎 | 薬局長 | 明治41年(1908年)6月~ |
丹波 敬三 | 薬局長 | 大正 9年(1920年)7月~ |
杉井 善雄 | 薬局長 | 大正12年(1923年)1月~昭和 9年(1934年)8月 |
畑 忠三 | 薬局長 | 昭和 9年(1934年)8月~昭和23年(1948年)3月 |
野上 寿 | 薬局長(薬学部教授併任) | 昭和23年(1948年)4月~昭和37年(1962年)3月 |
野上 寿 | 薬剤部長(薬学部教授併任) | 昭和37年(1962年)4月~昭和39年(1964年)4月 |
高木敬次郎 | 薬剤部長(薬学部教授併任) | 昭和39年(1964年)6月~昭和49年(1974年)5月 |
田村 善藏 | 薬剤部長(薬学部教授併任) | 昭和49年(1974年)5月~昭和52年(1977年)4月 |
田村 善藏 | 薬剤部長(医学部教授) | 昭和52年(1977年)5月~昭和58年(1983年)4月 |
中川冨士雄 | 薬剤部長(医学部教授) | 昭和58年(1983年)4月~平成 2年(1990年)3月 |
伊賀 立二 | 薬剤部長(医学部教授) | 平成 2年(1990年)4月~平成16年(2004年)3月 |
鈴木 洋史 | 薬剤部長(医学部教授) | 平成16年(2004年)6月~現在に至る |
注:薬局長、薬剤部長が不在時の事務取扱 | |
丹波 敬三 | 大正 9年(1920年)7月~時期不詳 |
近藤平三郎 | 大正11年(1922年)5月~大正12年(1923年)1月 |
中川冨士雄 | 昭和39年(1964年)4月~昭和39年(1964年)6月 |
鈴木 洋史 | 平成16年(2004年)3月~平成16年(2004年)6月 |